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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第057号       ’00−09−01★

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     英語学習法

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●「△△は駅の前、、」

 

というCMは赤い看板の銀行か月賦販売の○○、、 と思っていたら、近ごろ

英語学校も仲間入り。 しかし英語なんて、TVで宣伝すべきものですかね?

 

古典的なギャグにもある通り、「アチラでは赤ん坊も英語で喋る」。 必要に

迫られれば習わなくたって話せるようにはなります。 いくら駅前が便利でも、

わざわざ足を運び、時間とカネをかけてまで、、?   どうにも不思議です。

 

要する一種のファッション産業、、なのでしょう。  実際には<勉強>など

してはいないが、しているような格好はしたい、という人は少なくありません

からね、、、   と思うのは、近ごろ、

 

 

若い人から受ける相談に、「いま英文学科に在籍しているが、室内装飾に興味

があり、その方面に就職したい。  専門学校にも通いたいが、金と時間の点

で悩んでいる」、という種類のが、たいへん多いからです。   何とも散漫。

 

一見向学心、向上心あるかのごとくだが、現実社会の一員になりたくないだけ。

月謝を払い続けて束の間の猶予を得よう、という逃げの心。 本当に室内装飾

を手がけたかったのなら、美術系に進学していただろう、アルバイトもその筋

の仕事を選んだに違いない。  ところが現実、そうはしていない、、、

 

ある時は英語、今はインテリア、と<迷い><悩む>くらいだから、遠からず

また別の対象に移って行くんだろうな。  キミ、そりゃ人生の無駄遣いだぜ。

 

こういうのはそれまでの人生を<一度として目前の課題に全身全霊で取り組む

こと無しに過ごして来た>人、でしょうな。 子として、学生として、または

若手社員として、すべきだったことを存分にして来なかった人。  つまり、

 

<いい加減にする>習慣が身に着いた人、でもあります。 だから宣伝に乗せ

られて英語なんか習っても、結局<いい加減>で終わるだけ、、だな、きっと。

 

*   *

 

しかし、そう言ってもいられない。 このインタネット時代、英語力無しでは

先が暗い。 ディジタル・ディバイドはいずれ必然の傾向ですが、我々日本人

にはその前に、イングリッシュ・ディバイド(?)、即ち英語力の有無による

貧富二極分化が生じるかも知れないのですから、、、  と考えれば、  

 

英語学習の流行は、それを予感しての本能的回避行動の現象、とも見られます。

現実にグローバルな共通語として、英語は必須のビジネス・ツールですから、

しっかり勉強しておくに越したことは無い。   そしてもちろん、

 

それは必ずしも<カネをかける>ことを意味しません。 カネを払えばその場

で手に入る、という安直なものではない。  かなり努力しなければ身に着か

ないし、相応の年月を要します。 けれども、それを覚悟しさえすれば、カネ

のかからない方法もあるし、むしろその方がホンモノになる。  たとえば、

 

すでに通った道をもう一度歩き直すこと。 中学3年分の教科書3冊、丸暗記

するまで音読すること、です。   それを国弘正雄先生は、

 

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●「只管(しかん)朗読」

 

と言われました。 ひたすら、大声を出して読み上げること。 小さな声では

ダメ。  こればかりは「黙々と、、」ではダメ。 3冊の本文、完全丸暗記。

 

それが出来れば、ほかは何も要らない。  また、これが出来ないようなら、

ほかの何をしてもダメ、という明快無比の説。 極論のようではあるけれど、

基礎英語修得方法としては全くの真実です。

 

  ★以下、私の体験談が自慢(ではないつもりですが)たらしくて読みたく

   ない方は、代わりに国弘正雄著「英語の話しかた」(サイマル出版会

   1970 )p.126〜 をお読み下さると宜しいでしょう。  その中で、

 

   60歳を優に越えてからこの方法で成果を収められた方の実例、として

   挙げられている大越教授は、我が中学の大先輩。 学士院賞受賞の後、

   記念講演に来校されましたが、たしかに「ことばの重い方だった」。

 

 

この方法は国弘先生のほか、福原麟太郎など、英語の大家が推奨しておられる。

英検2級は楽勝です。  即ち、そのようにしていたら、義務教育終了時には

みんなそこまでは行けていたはず、ということ。   たまたま私の場合、

 

中学に入った時の担任が英語の先生だったので、他の学科より親近感が持てた、

と言えなくはない。 けれども、そのT先生が音読と丸暗記を奨励されたのは

クラス全員に対してだったのに、全員がそうしたわけではありませんでした。

そこが分かれ道。  スコブル付き素直の私は、何も疑わずにそうしただけ。

 

浅草の映画街近くに住み、比較的早く洋画に親しんだせいで英語好きに拍車が

かかったのかも知れません。  わけも無く太平洋の彼方に憧れを抱きました。

TV出現以前の、気が散らずに済んだ時代だったのも幸いしました。狭い家の

中、家族の迷惑も構わず、暇さえあれば音読に励んだ次第。

 

中3で先生が替わり、教科書もアメリカ風で会話主体の " Jack & Betty " に。

レベルはそれまでの " Let's Learn English " の方が高かった、と思います。

中2のは物語主体、小映画ファンの想像を掻き立てました。  お気に入りは

 

アメリカ西部開拓史の勇者、ダニエル・ブーンの手柄話。 、、when he heard

the indians talking over the attack on Boonesborough 、、 今もスルスル

出て来るくらいです。

 

*   *

 

只管朗読が効いて中〜高〜大、英語は5かAか優ばかり。 我が子らにもその

方法を奨めたが、ノラない。 で、彼らに刺激を与えるため、英検に挑戦して

見せたのは約50歳の時でしたが、僅か1週間の準備で2級と1級1次に一発

で合格。  エヘン! これが<基礎力>というものさ、と。  しかし、

 

1級2次は放棄。 その場で渡されたテーマをピーチクパーチク囀るなんて、

冗談じゃない、、  必要なことを必要の程度に喋る方針なのですよ、私は。

以来自称、「1.5 級」。

 

*   *   *

 

<音読>で鍛えたお陰で、初めての渡米以来、こちらの話が通じなかったこと

は皆無。 リスニングの方は出たとこ勝負。  地域や人柄によって、発音は

いくらでも変わりますからね。 聞き返し、質問し、最後には紙と鉛筆を差し

出してでも食らい付くのみ。  通じなくちゃ困る、のはお互い様ですから。

 

聴く、喋る、は、この国に住む限り機会が少ない。 少々磨いても、たちまち

錆び付いてしまう。 結局、何も残りません。  そんな程度のことのために、

たださえ減らされている小学校の授業時間を使うとは、何たるナンセンス! 

全くもって許し難い、という想いが前号の動機でした。  

 

英語圏を一人で旅すれば、普段鍛えの足りていない私でも十日ほどすれば夢を

英語で見るようになります。  即ち、<聴く、喋る>能力は<現地調達>。

 

それで思い出すのは、英語教師の団体旅行と出会った時のこと。 人に教えて

いる彼らが全く喋れないのには呆れました。 多分、只管朗読なさらなかった

からでしょう。  文部省さんもその程度で、だからナントカシナクチャ、と

考えたのだろうけど、、  しかし<基礎力>抜きでは、すべて時間のムダ。

 

*   *   *   *

 

くやしいけれどもネットは英語が支配する世界。 でも、<音声>だけのサイト

は無いのだから、読解力があればまず不自由は無い。 メールも<読み書き>。

 

スピードが大切だと言うのに、誰かが翻訳してくれるのを待つようでは後れを

とります。 翻訳者が間違いを犯すこともあります。 翻訳ソフトの生み出す

チンプンカンプンな文章はいわば一種のクイズ、かえって足手まといです。 

 

あなた自身の頭脳を活用すれば第一に待ち時間ゼロ、第二にたとえ<誤訳>で

損をしたとしても他人様を責めずに済みます。  それだけじゃない、

 

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●渡部昇一教授が指摘

 

しておられるように、「真に日本語的な日本語は知性の介入を峻拒する性質が

ある」のですね。 また、どの国でも「青年の知育には外国語を用いた」よう

に我が国も外国語を学ぶべきなのだが、「妙に国際づいて、『初歩の英会話を

やりましょう』と言っている。  そして日本人にとっての外国語の意味は、

先ずもって知的なるものであるという視点が失われかかっている。」 また、

     (「日本語について」 1974  おお、四半世紀前、すでに!)

 

「悪名高き入試のおかげであるというのは少し情けない、、」が、知育には

「昔ならば漢文、現代ならばヨーロッパ語の教育が必要」なのですよ、結局。

 

<会話>は短文のやり取りに過ぎません。 やはり<長文解釈>でなくては、

頭の鍛錬にならないのです。   その後、文部省系でも類似の主張が、、、

 

 

文相の諮問機関である国語審議会第三委員会は「外国語習得には母語の力が

基盤」という見解で、英語早期教育に警鐘、、 だそうです。 が、子供に

限る必要は無いでしょう。 論理組立能力不十分では、たとえ年齢はオトナ

でも、ろくな英語が<喋れる>ようになるはずがありません。

 

先ず読解を重ねることにより、論理組立の基礎的なルールを体に覚えさせる

必要があります。 音読・丸暗記によって、それがオートマチック化される

のです。 中学英語は普通、語の倒置や省略が無く、丁寧・正確、網羅的。

 

これで枠組みが固まれば、それから先の活用は能力とセンスの問題でしょう。

どんな<内容>を盛り込むのもご自由、、、   どこかで聞いたような?

 

*   *

 

そう、 Rational Process の修得・活用と、原理的に全く同じですね。

 

まず基本パターンを身に着ける。 その上で、自分の必要に応じ、センス

良くパターンを使い分け、関連する断片情報をはめ込んで行く、、、

言語的技法、と(第30号で)申しましたが、まさに英文の組み立て。

 

その<内容>を(IT用語となる前から、EM法では)「コンテンツ」と

呼んでおります。 それは全くその人のもの。 オトナなら知識・経験が

豊富であろう、それが提供されれば充実した議論になることは申すまでも

ありません。  即ち、 Rational Process はオトナ用の技法。

 

KT法、EM法、ともに<管理職研修>と銘打ち、敢えて新入社員研修用

のコースを設けないのは、そのためです。  十分なコンテンツを持たぬ

人々にこの技法を学んで頂いても、、、 の配慮からでしょうか。

 

*   *   *

 

毎度ながら、問題解決の基本は思考力。 思考の基本は僅か4パターン。

 

中学英語同様、それさえマスターすれば、たいていの場面に対応できるが、

それすらわきまえず<他流試合>に出れば、どんなに努力したつもりでも、

相手を頷かせる話に出来るかどうかアヤシイ。  その点もソックリ。  

 

Rational Process の研修を受講して、え? こんなのアタリマエじゃ?

と思った人は少なくないはずですが、それならお尋ねしましょう。

 

只管朗読でマスターした英語のように、 Rational Process を、どの部分

からでもツルツル出せる自信、ありますか?   

                           ■竹島元一■

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